ポーランド中西部のエリアはヴィエルコポルスカWielkopolskaとよばれ、その中心都市であるポズナン(Poznań)はポーランド国家、そして初代のポーランド王朝の発祥の地として歴史的にも最重要の都市に数えられています。またワルシャワとベルリンを結ぶ幹線上に位置することから、昔から交易・文化交流の中心として栄えてきました。第二次世界大戦では大きな戦災を受けましたが、戦後、市民の協力でかつてと変わらない姿が戻っています。
旧市街にある中央広場には、ルネサンス様式の旧市庁舎があり、ここには町の象徴になっている2匹のヤギが角をつき合わせる仕掛け時計があり、毎日正午には道行く人の歓声があがります。 近くには、かつてショパンが演奏を行ったラジヴィウ宮殿(現在は役所)があります。ショパンは1828年にベルリンからワルシャワに戻る途中に、当時のポズナン大公国の総督(プロイセン国王の名代)であったアントニ・ラジヴィウ公爵(1775-1833)に招待され、このラジヴィウ宮殿のサロンで演奏を披露しました。
旧ラジヴィウ宮殿(現在は市役所)壁には1828年のショパンの来訪記念碑がある
ラジヴィウ公爵がショパンの才能に関心を持ち始めたのはワルシャワの神童時代の演奏に深い感銘を受けたことがきっかけでした。自らも作曲をてがけ、また歌も歌うというアントニ・ラジヴィウはチェロの名手として名を馳せており、芸術の擁護者としても広く知られている人物でした。パガニーニ、ゲーテ、ベートーヴェンといった当時の一流音楽家とも親交があった公爵は類まれな才能に恵まれた少年を見つけ、ポーランドが生んだ神童には超一流の音楽家としての道を歩ませるべきだとショパンの両親を説得したといわれています。その言葉に、ショパンの父はラジヴィウ公爵が息子の後ろ盾になってくれればという期待を持ったようですが、ショパンの舞台と考えてベルリンを重視していた公爵とよりウィーンに強く心を魅かれていたショパン自身の思いに相違があり、結局ラジヴィウ公爵がショパンの後ろ盾になることはありませんでした。
後年ヘンリク・シェミラツキが描いたサロンコンサートの様子
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【アクセス】
〔列車〕
ワルシャワから約2時間50分。インターシティIC、ユーロシティEC等は朝6時代から1時間に1、2本。ベルリンから約2時間45分。IC、ECをあわせて1日5本。
〔バス〕
ワルシャワ、グダンスク、ベルリンからバス便もあり、安くて便利。
ポルスキバス
〔飛行機〕
ワルシャワ、フランクフルト、ミュンヘン、コペンハーゲンで乗り換え
ポズナン国際空港公式サイトwww.airport-poznan.com.pl/en/