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ワルシャワ歴史地区

瓦礫から復興して

 
ワルシャワの旧市街(Stare Miasto)は、世界中に数多ある世界遺産の中でも極めて例外的な存在です。それは、街自体が持つ歴史的価値ではなく、第二次世界大戦中灰燼に帰した街並を「レンガのひび割れ一つに至るまで」忠実に蘇らせたワルシャワ市民の「不屈の熱意」が評価されて登録が決まったという唯一の史跡群だからです。

ワルシャワ歴史地区
Historyczne centrum Warszawy

  • 世界遺産登録: 1980年、文化遺産
  • 所在地: ワルシャワ市旧市街
  • 見どころ:

歴史

ワルシャワの歴史は、13世紀頃にヴィスワ川(Wisła)のほとりにできた小さな村落から始まります。14世紀初めには都市としての権限を与えられ、水路の要衝にある町として急速に存在価値が高まって行きました。14世紀末になると現在の旧市街(Stare Miasto)にあたる市街地を取り囲むように防壁が建設され、15~16世紀には旧市街の北端にバロック様式の砦「バルバカン」(Barbakan)が建造されています。防壁の内側には、広場の周囲に木造の屋敷が立ち並びましたが、何度も大火災が発生したため、後にはレンガや石造りの建物のみが建築を許されるようになりました。

1596年には国王ジグムント3世(1566-1632)がポーランドの首都をクラクフからワルシャワへ遷します。彼の居城となった王宮(Zamek Królewski)は16~17世紀を中心に増改築が行われ、さらに18世紀後半には最後のポーランド王スタニスワフ・ポニャトフスキ(1732- 1798)によって豪華絢爛な室内装飾が施されました。このように14~19世紀にかけてゴシック様式から新古典主義様式にいたる歴史的建造物が多く建設されたワルシャワは、その美しさから「北のパリ」とも称されています。

瓦礫からの復興

ポーランドは第二次世界大戦でナチス・ドイツの侵攻を受けます。1939年には美しい王宮が空襲を受けるなど被害を受けていましたが、壊滅的な悲劇は1944年に起こりました。この年、ワルシャワでは暴力と迫害に耐えかねた市民たちが立ち上がり、「ワル シャワ蜂起」を起こしたのです。しかし2ヶ月の後、約20万人の犠牲者を出し全滅、ナチス・ドイツの爆撃と火炎放射による破壊活動によってワルシャワの街の80パーセント以上が瓦礫と化してしまいました。そして蜂起の最後の砦となっていた旧市街一帯は、最も徹底的に破壊しつくされたのです。

しかし、戦後、ワルシャワ市民たちは旧市街の街並を昔の姿のままに再建すること を決意します。実は市民たちは建築科の学生を中心に、戦前や戦時中危険を承知で市街の隅々に至るまで入念なスケッチを残していたのです。市民たちは亡くなった家族や仲間への想い、愛国心を胸に、スケッチや歴史的絵画などを手がかりに、跡形も無く瓦礫の山となってしまった一つ一つの建物を「レンガの割れ目一つに至るまで」忠実に再現したのでした。再建作業には建築家や修復の専門家だけでなく、ワルシャワの多くの 一般市民が参加し、戦後何年もの時間をかけて驚くほど丹念に進められました。この努力は見事に成功を収め、戦前と寸分たがわぬワルシャワの旧市街が蘇ったのです。

 ですから、今日我々が見るワルシャワ旧市街はまるで中世の街並そのものですが、実際は戦後わずか数十年の歴史しか持っていません。1980年、ユネスコは街自体の歴史的価値ではなくこうした「街の復興にかける市民の不屈の熱意」を評価し、ワルシャワを世界遺産に登録することを決定したのです。

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