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ウッチ地方

ウーツキェ地方 (ウーツキェ県, łódzkie

ウッチといえば映画と紡績の街というイメージが古くからこの街を知る人の記憶に強く残っているかもしれません。文化創造と近代工業のさきがけを担ったウッチは現代ポーランドにとっては無くてはならない都市です。19世紀にめざましい発展を遂げ、かつてはポーランドのマンチェスターと呼ばれ繊維工業で栄えた大都市で、ワルシャワからは南西に133kmの距離にあります。

ウッチの歴史
歴史にウッチについての記述が初めて記録されたのは1332年のことでした。当時はまだほとんどの住民が農業に従事していたため「農村ウッチ時代」と称されていました。16世紀半ばに650から800人ほどの人口であったこの町が目覚ましく発展したのは19世紀初頭からのこと。ワルシャワ公国とロシアの関税が撤廃されたことから工業生産や商業取引が活気づいてきました。
1820年にわずか800人に満たない人口であったウッチは工業都市として当時の政府に手厚く保護され、1840年までに人口は1万人、1903年には人口は32万人を数えるまでになりました。両大戦間期には経済復興を目指して、集合住宅の整備や市民の文化、教育のレベル向上が図るため博物館、美術館等も設置され、ポーランド屈指の大演出家レオン・シルレルLeon Schillerなど、芸術文化関係の有名人が多数活躍したことで知られています。しかし、その後の第一次世界大戦による打撃は、この町の発展に一時的な停滞をもたらしました。
 1939年9月9日、ナチス・ドイツによる占領から始ままって1945年1月に町全体が解放されるまでの間、工場設備や原料が甚大な被害受けただけでなく、また人口の60%を失うことになり、戦後は前途多難な展望とともにウッチ市の建て直しを計ることになったのです。
そして、戦後から現在にかけて経済の発展、市有地の拡大、市境界線の拡大がすすみ、これまでの市街地にあった工場は徐々に郊外に移りつつあります(Dąbrowa, Teofilów, Nowe Sady, Żabieniec地区など)。また上下水道の整備、発電所建設、それに伴い巨大団地群の建設、旧市街地では老朽化した住宅のリフォームなどが盛んに行われ、人口ではワルシャワに次いでポーランド第2の都市として知られてきました。
 近年は観光客の誘致に力を注いでいるウッチ。かつてのレンガ造りの工場を利用したポーランド版赤レンガ倉庫「マヌファクトゥーラ」Manufaktura、アール・ヌーヴォーの街並みが美しいピォトルコフスカ通りの整備が進み、観光イベントも年間を通じて開催されています。
 ピォトルコフスカ通りではウッチ出身のピアニスト、ルビンシュタインと作家のユリアン・トゥヴィムの像がゆったりと腰かけている姿が目に留まります。いつの頃からかトゥヴィムの鼻に触れると幸せが来るという噂が立ちはじめ、地元っ子だけではなく旅行者も記念撮影をしながら必ずその鼻を触って行くようになりました。ほかにもパサージュ・メイェルといわれる現在のモニューシコ通りもおもしろいでしょう。ここには1886年築の折衷様式の邸宅が並び、労働者住宅として知られるクシンジ・ムウォインとエドヴァルト・ヘルブスト邸も見ごたえがあります。この邸宅は、現在はマテイコ、ヴィスピィアンスキ、ゲルソン、マルチェフスキといったポーランドの輩出した有名な画家の作品が収められている美術館として公開されています。www.msl.org.pl

 

 

 

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