国歌
当初、この歌は「在イタリアポーランド軍団の歌」として知られていました。1797年、ユゼフ・ヴィビツキが町から出征していくポーランド人部隊の はなむけのためにと腕をふるって書いた詞でした。この歌詞がマズルカのリズムに乗せて歌われると、あっという間に軍団中に広まり、大人気を得るようになっ たのです。
『ポーランド未だ死なず』
1797年7月のある夜のことでした。レッジョ・ネレミリアの司教館で、ユゼフ・ヴィビツキはヘンリク・ドンブロフスキ将軍率いるポーランド軍団の 兵士たちを勇気付けるため、一つの軍歌を書きあげたのでした。その歌詞は次のように始められていました。「ポーランド未だ死なず。われら生き抜く限り」。 これがポドラシェ地方の歌として当時知られていた作者不詳のマズルカのメロディに乗せて歌われたのです。
「ドンブロフスキのマズルカ」は、師団の間で大変に流行し、11月革命や「諸民族の春」を経る過程でなんと17にも及ぶ言語に翻訳され、諸外国(ユーゴスラヴィアなど)の国歌作曲家に対して多くのインスピレーションを与えました。
長い間、ポーランド人にとって非公式に国家の歌として認知されてきたこの歌は、1927年2月26日になってようやく、正式にポーランド共和国の国歌とし て定められました。他にもRota、Bogurodzica、Warszawianka、Boże, coś Polskęなどといった有力な候補が挙げられていましたが、投票でこの曲が選ばれたのです。
「マズルカ」の手稿は第二次世界大戦のさなかに失われてしまいました。ヴィビツキの子孫たちによってベルリンの銀行に大切に保管されていたのですが、爆撃 に遭った後、おそらくロシアに運び出されたものと考えられています。今日では骨董収集家が最も探し求めているアーティファクトのうちの一つとなっていま す。
1950年代に、社会主義的な人民共和国憲法へと改憲されたのを期に、国歌も新しいものを制定しようという動きもありました。当時の大統領ボレスワフ・ ビェルトは詩人ヴワディスワフ・ブロニェフスキに作詞の依頼をしたものの、彼はその提案に怒り心頭、電話口で大統領をののしり断ったのでした。最終的に、 詩人のコンスタンティ・I・ガウチンスキが「大好きな国、愛される国」という歌詞を書いたのですが、結局スターリンのお気に召さず、お蔵入りとなりまし た。
ベンドミン国歌博物館:国歌など各国の最も重要な歌曲を専門に扱った世界で唯一の博物館。西洋シナノキが影を落とす18世紀建造のその建物は、ユゼフの父、ピョートル・ヴィビツキの館でした。国歌の作者生誕の場所です。
通貨
ポーランドで最初の貨幣が鋳造されたのは、国がキリスト教を受容し“西欧”の仲間入りをしたのと時を同じくしていました。ミェシュコ1世に始まる歴代の国 王たちは、両面に刻印を施した肉厚の銀貨を鋳造しました。しかし、そういった貨幣そのものに価値があるお金というのは、徐々にその価値が失われていってし まうものです。11世紀も末になると、貨幣は片面のみ刻印された薄っぺらな金属板状の粗末なものになってしまい、しまいには折れて真っ二つに割れてしまう ほどでした。
14、15世紀の頃は、諸外国の通貨であったデュカット金貨やフローリン金貨がズウォティと呼ばれていました。ポーランド・ズウォティは貨幣としては存在 しておらず、30グロシュの単位を表す言葉としてだけ機能していました。それが貨幣として出現したのはようやく1564年になってのことです。それは半コ ピと名づけられていました(「コパ」という60の数量を表す単位から取られた名前です)。
1924年にはポーランド銀行(Bank Polski)が新しい貨幣制度を導入しました。当時の財務大臣ヴワディスワフ・グラプスキはポーランドの通貨単位としてレフあるいはポルという名称も検 討していましたが、最終的には伝統あるポーランド・ズウォティが採用されることになりました。ズウォティが戦時中のポーランド・マルクに取って代わり、ま た初めて1ズウォティ=100グロシュと定められました。その価値は金0.1687グラム分とされました。交換可能な、強く一定価値を持った貨幣であり、 戦前の1ズウォティは今日の8ズウォティ分もの価値がありました。
しかし社会主義的経済はズウォティの役割を弱体化させてしまいました。国内のみに流通する交換不可通貨になってしまったばかりでなく、国内では米ドルがズウォティを席巻してしまいました。
世の中に本来のズウォティが復活したのはようやく1989年以降のことですが、その後も大変な困難が待ち受けていました。自由を得たポーランド国内にはイ ンフレが生じ、国民は日ごとに「億万長者」になっていくのでした。しかし財布にはちきれんばかりの紙幣で買えるはずの商品の方は、日ごとにどんどん少なく なっていったのです。そして最終的措置として、年配のポーランド人にとっては悪夢として現在も記憶に鮮明なデノミが行われたのです。1995年1月1日の こと、ゼロ4桁分が切り捨てられました。今まで何万ズウォティであったものが、わずか数ズウォティと交換されることになったのです。
果たして結果やいかに? 驚くなかれ、全ては何の問題も無くうまくいったのです(勿論、この改革に必要とした3千万ズウォティという出費を考慮しなければ、の話ですが!)。国民 は、何百万もの稼ぎを得ることも、また支払いに使うこともなくなったのです。以前のグロシュ単位も戻ってきました。ですから今日もし本当に財布を大量のお 札で膨らませている人がいるならば、それは紛れもない本物の「億万長者」といえるでしょう。
ズロチ? ズウォティ?
ポーランドの通貨は「ズウォティ」と読み、ポーランド語では złoty と綴ります。略号として zł. や PLN と書かれていることもあります。
「ズウォティ」の下の単位は「グロシュ」。1ズウォティ=100グロシュです。
日常会話の中ではズウォティという読み方の代わりに「ズウォトゥフカ」というくだけた表現をすることもあります。
流通しているコイン・紙幣の種類:
硬貨(グロシュ)… 1, 2, 5, 10, 20, 50 gr
硬貨(ズウォティ)… 1, 2, 5 zł
紙幣… 10, 20, 50, 100, 200 zł
政治体制
ポーランド人は生粋の民主主義的民族なのです。すでに15世紀ポーランドでは「シュラフタ民主制」による統治が行われていたほどです。市民の中から 選出された者たちに国家の命運を決定するチャンスが与えられていたのです。そして、ポーランドはヨーロッパで最初の、また世界でも2番目の、「近代憲法」 を制定した国家でもあるのです。
祝祭日
ポーランド人たちは休暇が大好きです。ポーランドの年間における祝日の多さはヨーロッパで2番目を誇り、11日の祝日があります。ポルトガル、マルタ、スロヴァキアが12日、ハンガリーではわずか6日です。
クリスマス――最も大切にされ、一年中で最も愛されている祝日――には、一家全員がテーブルに集います。伝統に従って、オプワテクと呼ばれる白く て薄いウェハースを互いに割りあう儀式に始まり、12の料理が夕食の席に並びます。一方、復活祭(イースター)では朝食を共にとります。その席でポーラン ド人たちは聖別された卵を分かち合うのです。また翌イースターマンデーには、幸運を願って皆で水をかけ合います(地域によっては茨で叩き合う習慣もありま す)。
他の宗教祭日はもっと控えめなお祝いの仕方をします。公現祭(1月6日)にはクリスチャンたちはチョークで玄関のドアにK+M+Bの文字を書きます。聖霊 降臨祭には教会に菖蒲を持ってゆきます。聖体祭には行列になって4つの祭壇を巡ります。聖母マリア被昇天祭の日には何万もの巡礼者たちがチェンストホー ヴァのヤスナ・グラ寺院聖堂の前に集い、祝福のミサを受けるのです。
国民の休日は、ポーランド人たちは主にのんびりとしてすごします。5月1~3日は大都市の市街地は閑散とし、逆に観光地はまさに芋を洗うような人出でにぎ わいます。なぜならメーデーに続いて国旗の日、憲法記念日と連休が定められており、まさに大義名分にのっとって怠けることができるからです。
この他にも、休日ではないものの、ポーランド人が喜んでお祝いをする記念日として、女性の日、子どもの日、おばあちゃんの日、おじいちゃんの日、鉱夫の 日、バレンタインデー、聖アンデレ(アンジェイ)の日…などがあります。西方起源、東方起源を問わず、お祝いするという伝統があることに変わりはありませ ん。ともかく祝日というのは、楽しく遊んで、また近しい人々をよく想い、気持ちを伝え合う、そういったことができる絶好のチャンスなのです。
祝祭日カレンダー
1月1日…元旦
1月6日…公現祭
復活祭
復活祭の60日後…聖体祭
5月1日…メーデー
5月2日…国旗の日
5月3日…憲法記念日
8月15日…聖母マリア被昇天祭
8月31日…連帯と自由の日
10月16日…ヨハネ・パウロ2世の日
11月1日…万聖節(諸聖人の日)
11月1日…独立記念日
12月24日…クリスマス・イブ
12月25、26日…クリスマス

ポーランド政府観光局
〒160‐0023
東京都新宿区西新宿3-4-4
京王西新宿南ビル7階

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